インターネットの歴史を、ご存知だろうか。

私たちの日常生活と一体化し、今では当たり前の存在になっているインターネットは、そもそも軍事技術として開発されたものである。
それが徐々に世界に広まり、私たち一般人も使いはじめたのは、Microsoft Windows95が登場し、それまで一定のマニア層かハイソサイエティなビジネス界隈でしか使われていなかったパーソナルコンピュータ(パソコン)が次第に市民権を得つつあった、1990年代半ばすぎのことだ。

日野多磨工房90's
1990年代の当サイト。バーチャル感を醸し出すクリッカブルマップが売り。
当時は、メルアドも普通に表記していた。

 

インターネット世界における施設や建物とも言えるウェブサイトには、それぞれの時代に、その時々なりの異なる傾向があった。

そもそも『ウェブサイト』という呼び名自体、当初から使われていたわけではない。
皆それらを一緒くたにして、『ホームページ』と呼んでいた。今でもそうした言葉は使われているので、ご存じの方も多いだろう。
サーバーの容量が限られ大規模なサイトが多くなかったためもあってか、本来ウェブサイトのトップページを意味するホームページという言葉が、ウェブサイトそのものを指していたのである。

そして、SNSのような世界中の人々が集うウェブアプリケーションなどは言うに及ばず、GoogleやAmazon、Wikipediaのような大手サイトも、まだどこにもなかった。
ホームページは、個人が作ったものが主流であった。

通信速度がまだまだ遅く、パソコンの画面に小さな写真を一枚表示させるだけでも何分も掛かった当時、ホームページで発信できる情報量はごく限られていた。それもあって、個人の自己紹介や日記(個人情報に関して過剰なまでに神経質な現在からすると信じがたいほどの緩さ、大らかさであった)のような中身が薄くデザインも稚拙なページがほとんどだったが、そのどれを見ても今のネットにはない、若々しく新鮮なエネルギーに満ちていた。人々の生命が直接感じられる、熱さや息づかいがあった。
そしてまた、今ではあり得ないほど貴重な情報を発信する素晴らしい個人サイトがいくつも存在していたのも、事実である。

 

東京日野市の作業場(2001年4月)
東京都日野市の作業場、本業務は音楽制作(2001年4月当時)

とはいえ、致命的な問題があった。
当時は、検索エンジンというものが無かったのである。
素晴らしいサイトがあっても、それらにたどり着く(見つける)ための手段がごくごく限られていた。

Yahoo! JAPANはその頃からあったが、現在と比べるとニュースサイト的な色合いがより強く、ウェブサイト検索に関してはYahoo!の運営によって選別され登録されたサイトの中から探すしかなかった。後でも触れるが、単なる巨大な『リンク集』にすぎなかったのだ。
そのため貴重な情報を載せている個人サイトなどは検索に挙がらず、はっきり言って使い物にならなかった。ロボット型の検索エンジンで最初にまともに使えるようになったのはYahoo!でなく、goo(Googleではない)検索だったように私は記憶している。

要するに、求めるサイトにたどり着くには他のサイトにあるリンクを辿るしかなかったのである。
そのため、リンクはホームページのコンテンツとしてとても重要なものだった。
『リンク集』なる、同じようなカテゴリーのホームページを探すためだけのホームページが、星の数ほど存在していたものだ。
そしてそうしたリンクを次々と辿って数多くのサイトを訪問していくことを、波乗りに例えて『ネットサーフ』と呼んだ。検索エンジンで見たいサイトをピンポイントで探せる今では、この言葉も死語になりつつある。

 

その後二十年以上が経ち、生まれた時からインターネットが存在していた『デジタルネイティブ』世代が成長して成人し、子の親にすらなっている今日。

この二十数年間で、通信インフラの進歩とともにインターネットも凄まじい速さで進化を遂げたが、その過程はまるで私たち人類の文明のリアルな進化を超ハイスピードで見ているような印象だった。

一人一人が自分の家を建て、隣近所とコミュニケーションをはかりはじめ、村を作り、やがてそれが町になり、大きなビルが立ち並ぶようになり、組織も巨大化し、また交通手段(通信速度)の発展と共にグローバル化が進んでいった。

2000年代別館
2000年代の別館トップページ

 

そんな中、決して避けては通れないポイントが一つある。

カネの話だ。

黎明期のインターネットには、今と決定的に違うところが一つあった。
それは、『基本的にホームページそのものは、作ってもまずお金にならなかった』こと。
高度な通信販売システムを備えたサイトなどもなく、ホームページは単なる情報発信源でしかなかったのだ。

人々の善意と悪意が入り乱れてはいたものの、そこには確かに、人間が本能的宿命的に持つ、情報(それがお金に関するものの場合もあるかも知れないが)に対する純粋な好奇心と探究心があった。

 

それが現在、どうなっているか?

ちょっと見回してみてほしい。
広告だらけのニュースサイト、SNS、動画サイト、ブログ。
通販サイト。企業の営利目的のサイト。
かつての個人ホームページと呼べるようなサイトも、収益化していない方が珍しいくらいだ。
寡占化も進み、お金と全く関わりのないウェブサイトはほとんどゼロに等しいのではないだろうか?

インターネットは今や通信インフラというより、実は経済の主要インフラなのである。

それは、Amazonなどによってネットでなんでも買うことができるようになり、そしてまたそれ以上に、(世界の情報全てを牛耳る怪物に成長した)Googleをはじめとする、『広告』という巧みな集金システムを編み出した人々の所業による。
昨今の『コロナ禍』と呼ばれる忌まわしい出来事の最中こうしたインターネット界の怪物たちがさらなる大儲けをしているようだという報道も、記憶に新しい。

実際私自身もITを食い扶持の一部にしており、インターネットの歴史や現在の体質に大いに加担してきたのは事実であるし(商才がゼロなのでいつまで経っても貧しいが)、そうした世の中の流れが悪いとか汚いとか言うつもりはない。むしろ、人として当然だと思っている。

 

だがしかし、言いたいのだ。

せっかくの夢の電脳仮想空間、こんなにカネまみれで良いのか?
リアルバーチャルを問わず、私たちはどこへ行っても年がら年中朝から晩までカネに支配され、隷属しているだけで、本当に良いのか?

新世界へ
ニンゲンというものは知性を持ち、『知』それ自体を楽しむ、あまつさえ生きる目的にさえすることのできる動物であるはずだ。
かつてのインターネットで感じられたような『あの』ワクワクや純粋な好奇心、知的探究心や冒険心にも、大いなる価値があったのではなかろうか?
それらをすべて押し流し、忘れ去ってしまっても良いものだろうか?

こんな今だからこそ、私はそれを何かの形で表現し、何かの形で残しておきたいと思うのである。

 

どんなに巨大な流れがあっても、『自分』をしっかりと持ち、地に根付いて、自らの足で立って歩く一人の人間の心。そうしたものを、持ち続けていたい。
どんなに小さくとも、鋭く確かな、決して消えない一点の光。そうしたものでありたい。

そんな思いを形にするために、私はこのサイトを作ることにした。

故にこのサイトには、広告を貼ることは一切しない。
仕事では日常的に行なっているいわゆる『SEO』と呼ばれる作業も、一切行わない。
検索エンジンに引っかかりやすくするように文字数を水増しし、敢えてダラダラ長い記事を書くようなことも、しない。(この記事はもう既に充分長いけど^^;)
外からのアクセスを意図的に伸ばそうとするような対策には時間を使わず、真に私が書きたいことを書き、残したいものだけを残す。

初代バナー
1997年開設当時作成した、サイトリンク用バナー

ここ『日野多磨工房/HINO-TAMA WORKSHOP』の初代サイトはインターネット初期の1997年、私の作品を発表する個人ホームページとして開設した。

第四世代に改装した今、ここで改めて原点に帰り、かつて存在した個人サイトの正統進化形、というよりも、当時私が思い描いていた真の姿と言えるものを目指したいと思っている。

 

広告全盛、大手SNS全盛の今の時代だからこそ、こうしたインディビジュアルでピュアなウェブサイトに価値があると、私は信じる。

なぜなら、TwitterにしろFacebookにしろビッグテックが提供する場所は、それがたとえどんなに大きく立派なものであろうと、結局のところ彼らがカネを吸い上げるための道具にすぎないからだ。
古いデータはすぐに流れて埋もれるし彼らの都合で形がどんどん変わっていく、もしかしたらある日突然使えなくなるかも知れない、所詮は刹那的なものでしかない。
大袈裟に言えば、生かすも殺すも彼らの気分次第。そこには私たち一人一人の人生はおろか、思いや心、自由や権利が大切に扱われる云われなど、どこにもないのである。

見たくもない広告の海に溺れ、読みたくもない文章を読まされる、お仕着せ、お決まりの息苦しいインターネットからちょっとサヨナラして、ほっと一息つける場所を作っておきたい。

そのための、『ホーム』ページを。

これが、ディープステートが生み出したカネ至上主義、経済全体主義の世界に対する、私なりのささやかな抵抗である。(笑)

 

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と、以上のような精神と理念を明らかにしておくため、この記事を投稿する。

本当は貨幣経済やリアル世界の歴史の話まで突っ込んで書こうかと思ったが、テーマがぼやけるので今回は取り敢えずこの辺で終わりにしておく。^^;